宇品、似島勤務

病院船乗船の命もなく、無聊をかこっていた私達に、「似島分病室に勤務を命ず」と達令されたのは、昭和十二年九月二十日であった。
翌二十一日に、はじめて第一船舶送司令部の門をくぐり、その前の宇品港におびただしく浮かんだ黒いご用船に目をみはり、その中にまじる白い病院船に心をおどらせた。
出征する将兵の軍靴の音、ひっきりなしに行きかう軍用自動車の土埃り。せっせと蟻の群のように、人夫が伝馬船に軍用品を運び、山のように積み込んでいる。
伝馬にのせられ、馴染薄い海へ、おずおずと第一歩をふみ出してから、私たちの海の生活がはじまった。
港内に、白く塗装され、緑色の横帯も鮮やかに、船腹にくっきりと赤十字が描かれた病院船あめりか丸のそばを通った。白衣の看護婦がタラップを降りて来て、私たちの伝馬に手をふった。
あめりか丸には、上海事変がおこった七月二十九日に召集された、第一次病院船東儀部隊が乗り込んでいた。
戦火の呉淞(ウースン)、上海に航海し、空爆の下に、果敢な患者収容をつづけて来た病院船であった。
その時があめりか丸の白い姿を見た最後だった。次に見たときは、不法射撃を免れるために、船体を黒く塗り艤装していた。
宇品桟橋から一時間ぐらいで、似島の桟橋に到着した。
花田ミキ著『語り継ぎたい』11p
動画は広島県広島市の宇品港から船で似島に到着した瞬間です。いまは20分で行き来が可能です。