飢渇坂(ケカツ坂)

弘前高校のグランドの近くに凶作のときにたくさんの人が亡くなった坂があります」青森県の命の話になると、実在にする場所の話になることがあります。
弘前市の小沢地区にあるこの場所も、昔は「飢渇坂(ケカツ坂)」と呼ばれ、凶作のとき村人が空腹のあまり坂を上がれずにとれたまま亡くなった場所があります。天明の大飢饉(1782~1788年)には死者が山積みにされたとの記録もあります。
江戸時代の「飢渇坂」という昔のエピソードではなく、昭和になっても「多くの人が亡くなった」土地でもあります。そこは、「情報を伝える人がいれば守れた命」の土地でもあります。
情報は届いて当たり前ではなく、きちんと届ける人が必要である中、その土地に根付いて活動する保健師の役割は大きいものでした。
写真はいまの飢渇坂(ケカツ坂)の様子です。

f:id:hanada_miki:20211119100013j:plain

f:id:hanada_miki:20211119100025j:plain

f:id:hanada_miki:20211119100035j:plain

f:id:hanada_miki:20211119100045j:plain

f:id:hanada_miki:20211119100055j:plain

f:id:hanada_miki:20211119100105j:plain

f:id:hanada_miki:20211119100119j:plain