80年前の今日、太平洋戦争が開戦しました

12月8日の花田ミキさんの日記です。
※写真はパブリックドメイン真珠湾の写真です。
【日米開戦の朝】
海ゆかば」のうた声あふれかの朝病院船は上海を指しき
甲板に朝日おろがみこみあげき開戦を知りし支那海の朝
昭和十六年(一九四十一)十二月八日
朝、軍艦マーチにつづいて、「日本海軍は、ハワイ真珠湾を攻撃せり」との船内放送が流れた。
日米開戦の始まりであった。
上海をさして、南支那海を航行中の病院船は、感動、歓声、戦慄、そして「海ゆかば…」のうたごえがわき上がった。
間もなく、部隊長から「全員、遺書を書き、髪と爪を切って封入すること。」との命令があった。
便乗していた兵たちは、軍装をつけて、船内のあちこちに、衛兵として立った。
やがて、昇った朝日を拝み「千万人といえどもわれゆかん海の藻くずとなろうとも。」とたかぶり、こみあげるものがあった。
ひたむきに気負った病院船勤務のあの日の私。
あの日から、海は、地獄となった。
花田ミキ「鎮魂のうた」52-53p
【非常準備~日米開戦の日に~】
長きものひらめかしつつただよえばフカ来ぬといい布ととのえき
海は戦場だ。
一刻も油断がならない。
夜、十時に「非常準備」の命令が出た。
暑いのに、海中に入ることを考えて厚着をする。
メリヤスの下着、毛糸の腹巻、靴下も二重にはく。
救命道具やロープ、サメ対策のジャックナイフ、水筒を点検する。
千人針もおなかに巻き、お守りも肌からはなさない。装備の点検がすみ演習は終わる。
暑くてねつかれない。
「海に落ちたとき、乾パンなどを持つと魚が寄ってくるから持たないこと」「サメが寄ってきたら、さしあたり、白衣のベルトを足首にゆわえて、サメの体長より長くすればいい」「水に入ったらできるだけみんなかたまって、負傷者を中に入れて励ましあうこと」などと話し合う。
便乗する兵たちが、広島を出発前に、長く赤い下帯をしめたが、フカよけのためとわかった。
昭和十六年十二月八日
日米開戦の日ー戦中の走り書きメモから
「婦長室の記録」より

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