紫藍色(チアノーゼ)の唇
緊急手術(オペ)中 傷兵ゆけり手術帽とりつつ軍医頭を垂れき
夜中、山岳戦のつづく山西省から、トラックで運ばれて来た高橋一等兵は、腹部盲管銃創であった。
出血もひどかった。
すぐ、緊急手術がはじまった。
「水、水」と高橋一等兵はしきりに求めた。
腹部の手術故、水は与えなかった。
私は、手術台のかたわらで、脈拍をみる役割であった。
脈拍が次第に弱まっていった。
「脈拍(プルス)弱くなりました」
「脈拍(プルス)結滞しています」
次々と、執刀中の軍医に報告した。
「高橋、がんばれ!」と手術室の介助者がはげます。
息づまるような雰囲気の中で、次第に、脈拍が弱く、途切れがちになった。
「脈拍(プルス)ありません」私が叫ぶ。
宇井軍医は、「水をのませろ!」と言った。
水呑みで、高橋一等兵の唇に水を注いだがすでに、紫藍色の唇は吸う力がなかった。
しばし、手術室は沈黙。
軍医がメスを置き、手術帽を脱ぎ、瞑目した。
みんなは頭を垂れた。
介助の看護婦の嗚えつの声が聞こえた。
河北、石門陸軍病院の夜は深く、また一人、若いものの命が失われた。
花田ミキ著『鎮魂のうた』17-19p
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花田ミキさんは1939年の2度目の召集の際、日中戦争がひろがる中国に派遣されます。山西省の山岳をのぞむ黄土戦野にたてられた木造平屋のバラック病院に、二年間、勤務しました。
花田さんのこの体験は昔物語ではなく、いまでも世界のどこかで、看護師たちが同じように負傷兵の看護にあたり、無念にも命を失う若者がたくさんいるのです。