明日知れぬ別れの日

花田ミキさんが時間をかけて看護をし、元気になった若者がまた戦場に戻っていく。その経験から「私は戦争の被害者であり、加害者でもある」と苦悩を続けました。そのエピソードです。Facebookには一部しか載せておりません。ぜひREADYFORの新着報告にある全文をご覧ください。
【明日知れぬ別れの日】
明日(アシタ)なき訣(ワカ)れと知れど傷癒えし兵をおくりき山西の戦野に
ある日、小野さんは、原隊に復帰するというので、別れの挨拶にきた。
「本当によかったのね。原隊に帰ったら、馬にまた蹴られたりしないで元気でいて下さいね。武運を祈ります。」と、私はいった。
小野さんは、「看護師さんにはいろいろお世話になりました。看護師さんもお元気で。」
健やかに回復した姿を見せられることこそ、みとりするものの、つきない悦びの泉。
彼は、挙手の礼をして、走って行った。
言語療法士作業療法士も、理学療法士もないあの時代。
患者のそばには数少ない私たちだけ。
私たちは、経験で得た知識をフルにつかい、知恵をしぼった。
人の回復をねがい、平穏で幸せな生活に帰ってゆくのこそ、いのちをみとりするものの使命と思う。
しかし、戦時には、兵の回復した日はすぐ、戦場に帰ってゆく、これっきりの別れの日であり、生死も定かでない境地に、出発させる日でもあった。
この矛盾と悲しみにゆすぶられ、小野さんの後姿に私は涙をこぼした。
小野さんのような若者を、いくたり、戦線に復帰させたことか。
みすみす、いのちを消耗させることだったのだ。
平和ななかでこそ、いのちは守られ、はぐくまれる。
小野さんの後姿にこぼした複雑な涙は、ふたたび、流すことがあってはなるまいと、今もなお、私は肝に銘じている。

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