武漢に転身

河北(カホク)より武漢(ブカン)に転じし埼玉班帰る日ともにまちかねいしを
石門の病院には、日赤の栃木斑や埼玉斑が勤務していた。
その友人たちにあえば、いつも「帰還の情報は?」とたずねた。
ある日、突然、埼玉斑に、南方の、武漢(南支の武昌・漢口)の野戦病院に転進せよとの命令があった。
お互いに「帰る日近し」と胸をふくらませていたのに驚いた。
昭和十五年、日中戦争は拡大する一方であった。
このあと、漢口方面に、コレラ、腸チフスなどの伝染病が広がり、患者や救護班員に多くの犠牲者が出た。
「鎮魂のうた」35p
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平成14年(2002年)に花田ミキさんが自費出版した「~20世紀におくる~鎮魂のうた」という記録集があります。従軍看護婦として戦場に赴いたときの記録集です。
この経験から「命を阻むものはすべて悪」という強い信念を持つようになった経緯を感じていただけると幸いです。
全国の看護婦が戦地に送られました。帰国を待ちに待っていた日赤埼玉班に届いた連絡は武漢への移動。そして武漢のある漢口方面を襲った伝染病は、救護班員にも多くの犠牲者を出したのです。
今回、ボランティアの皆さまと文字起こしをさせていただきました。ご協力に感謝します。

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