假収容所

日露戦争当時から、似島には、検疫所が設けられていた。外地と内地とをつなぐ遮断所である。この島は、戦争がある度毎に、重要な防疫の任務を果たして来た。
立ち並ぶ煤けたバラックの建物は、凱旋将兵が内地での最初の夜の夢を結んだ兵舎であろう。
しかし、今は、上海戦線から病院船で直送されて来た傷病兵の、假収容所に充てられていた。
呉淞(ウースン)敵前上陸以来、進撃はつづけてはいるが、わが軍にとっては苦戦だったにちがいない。いきおい、病院船は、野戦病院のようにどしどしと、戦線からの患者を収容して、不法射撃を避けつつ復航してくるのだから、恐ろしいコレラ患者もいっしょに収容したのだろう。水が不自由なので、どすあかい揚子江の水を使ったそうだ。そのためか、復航中の傷病兵の中に、コレラが発生した。
あめりか丸の宮崎婦長は、病院船勤務中にコレラに罹患して、広島陸病におくられたという。
コレラが発生した病院船に収容されて来た傷病兵を全部、一先づ似島に収容して経過を見るのであった。
検疫所の兵舎の床に毛布をしいて、ズラリとねかせられた患者は、ほとんど戦傷で、担送患者が多かった。
受傷後日も浅く、傷も大きく、患者は凄愴といっていい位興奮していた。
花田ミキ「語り継ぎたい」11-12p
---
似島は宇品港内の島です。

f:id:hanada_miki:20211104094352j:plain