2021-08-01から1ヶ月間の記事一覧

命の大切さ 生きる尊さ

やむことのない戦争収束が見えない感染症社会との希薄なつながりによる孤独死全世界で「命をつなぐこと」が問われる時代 平和で穏やかな生活を守るために「命を阻むもの」に立ち向かった一人の女性がいた

"平和"をきずく単位

この頃、フト張少年の童顔を思う。元気でいるだろうか。 敵味方をこえた同じ人間として、あたたかい思いで結ばれた日のことを思い出す。 "平和"をきずく単位は、国の壁を越えて「同じ人間同士」という意識を、知るチャンスが、多ければ多いほど、固いものに…

星は美しいね。でも、わたしたちは、地獄を見ているのね

最前線の島で収容した傷病兵の一人が、せっかくの給食に手をつけない。「ガダルカナル島で餓死(がし)した戦友に、一口、食べさせたかった」。涙が、つつーっと、ほほを伝わって落ちている。 「お母さん、おかあさーん」。泣き叫ぶ少年。乗っていた輸送船を…

ウェブサイト完成…間近

映画「じょっぱり看護の人・花田ミキ」の公式ウェブサイトが完成間近です。 今日デザイナーさんからページが上がってきました! 8月9日に弘前市で行われた五十嵐匠監督も参加した会議を経て、作っていただきました。 いま五十嵐さんに確認のお願いをしていま…

グレース・E・オルト

戦後直後の1945年に日本政府の招聘により来日し、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)内の公衆衛生福祉局に勤めたグレース・E・オルト(Grace E. Alt、1905年7月22日 - 1978年8月24日)さんについて調べるために、東京都立図書館にレファレンスのお願いをしま…

掲載紙をお送りいただきました

8月19日(木)にデーリー東北、8月21日(土)に東奥日報に記事の掲載をいただきました。 デーリー東北は八戸を中心とした青森県、岩手県北のニュースを発信しているメディア、東奥日報は青森県紙です。 「これから映画をつくる」というまだ作品がないこのタ…

メディア掲載

取材・記事掲載に感謝いたします。こちらのページには明細されたメディアの情報をまとめてまいります。 ▼青森県保健師の草分け・花田ミキさん映画に/命救われた五十嵐匠監督 制作支援呼び掛け(東奥日報、2021年8月21日) ※紙の新聞のタイトルは「信念の看…

お問い合わせとお話をたくさんいただいております

新聞掲載後、たくさんの方から「協賛をしたいのだが、どのようにすればよいか」というお電話やメールをいただいています。 希望される方には連絡先をおうかがいし、映画の概要や五十嵐匠監督のメッセージ、支援方法が書かれたパンフレットをお送りしています…

殉職救護員慰霊碑と看護婦立像

日本赤十字社本社前庭には、殉職救護員慰霊碑と看護婦立像があります。 --- 慰霊碑には明治27年の日清戦争から第二次世界大戦において戦時救護に服し、殉職した1317人と、関東大震災や集中豪雨災害などの際の救護による殉職救護員9人の合計1326人の名簿と各…

日本赤十字社本社を訪問しました

本日、2021年8月23日、日本赤十字社の本社を訪問しました。映画についての説明をさせていただきました。 花田ミキさんは、 青森弘前高等女学校(現在の青森県立弘前中央高等学校)を卒業後、日本赤十字社盛岡看護婦養成所で学び、1934年に日本赤十字社青森県…

青森県保健師の草分け・花田ミキさん映画に

青森県の新聞「東奥日報」に記事が掲載されました。こちらからご覧いただけます。 どうぞよろしくお願いします。 www.toonippo.co.jp 青森県出身の映画監督五十嵐匠(しょう)さん(62)が、元従軍看護婦で戦後は青森県保健師の草分けとして活躍した弘前市出…

信念の看護師 映画に

本日(2021年8月21日)の青森県の日刊紙「東奥日報」に記事が掲載されました。 新聞を見た方からお電話をいただきました。 --- 花田先生が高等看護学校にいたときに授業を取った 戦争のときの話をしてくれた時「本当になんもなくなるんだよ」とおっしゃって…

青森空襲証言朗読154ー「守るべきもの、それはいのち」 花田ミキ

「次代への証言」青森空襲の記録・第7集 青森空襲を記録する会(昭和62年7月)より。 花田ミキさんの講演などを録音した音源を探しています。ご本人の声を聞きたいと思っています。お持ちの方がいらっしゃいましたら、お貸しいただけますでしょうか?送料は…

電話に出たら

新聞「デーリー東北」の記事をみた方からお電話を頂戴しています! 「看護学校時代に花田先生にお世話になって」とずっと泣きながらお話をいただいた方 「祖母が看護師をしていた」という方 本当に思いがこもった電話を受け取るたびに背筋が伸びる思いです。…

新聞掲載…のための準備中

新聞の取材をいただきました。いま記者の方から連絡があり、記事の中の文章の確認中です。 多くの方に知っていただき、看護の人サポーターの輪が広がりますように。

デーリー東北に記事の掲載いただきました

八戸を中心とした青森県、岩手県北のニュースを発信している新聞「デーリー東北」に取材をいただき、その記事が本日の新聞に掲載されました。 さっそく「花田ミキ先生にお世話になりました」と八戸の方からお電話を頂戴しました。 「花田ミキさん映画に 元八…

蕪嶋神社

八戸市にある蕪嶋神社に参拝しました。ウミネコ繁殖地としても有名な神社です。 昭和20年(1945年)8月9日に戦闘の際沈没した、海防艦稲木の碑があります。稲木の乗組員は八戸日本赤十字病院に運ばれ花田ミキさんを含む看護師や看護婦養成所の学生が空襲の中…

亡くなられた官民三百十五万人の命

"さきの日中戦争、第二次大戦に、私は招集され、従軍看護婦として長く働きました。そして、人と人がころし合う戦争のおろかさと虚しさを骨の髄まで知っています。 あの戦争で、亡くなられた官民三百十五万人の命が過信して、日本国憲法をのこしたと私は信じ…

弘前市 禅林街にある長勝寺

8月10日、監督の五十嵐と青森市、弘前市をまわり、映画のお話をさせていただきました。 途中、弘前市の禅林街にある長勝寺に立ち寄りました。三門は寛永6年(1629)に、2代藩主津軽信枚によって建立されたもので、昭和11年(1936)に国指定重要文化財として…

残し、伝えたい

ここに収められているエッセイをデジタルアーカイブして、紹介したい!この本は、自費出版。ご本人はいないし、どうしたものか。 平和を考えるとき、ぜひ手に取ってもらいたい一冊です。花田さんの言葉を残したいー映画でも、本でも。 「巻きもどすフィルム…

八戸市も、艦載機の襲撃におびえる日がつづいた

"生家弘前で四カ月過ごした私であったが、体調がすぐれないなどと言っていられない戦況になっていた。 要請で、八戸の赤十字病院に赴任した。看護婦の教育担当であった。二百人近い看護婦や学生のたべものの確保に書けまわった生活が続いた。 昭和二十年の八…

1944年3月24日~1950年5月31日

八戸赤十字病院で「創立五十周年記念誌」を見せていただきました。病院の年表には1944年3月24日に「看護婦長に、花田ミキ就任。」とありました。 職員名簿を見ると花田さんは八戸赤十字病院に1944年(昭和19年)3月24日から1950年(昭和25年)5月31日まで勤…

八戸赤十字病院訪問

本日、五十嵐監督は青森県八戸市の八戸赤十字病院を訪問しました。1944年(昭和19年)3月24日に、花田ミキさんが看護婦長として着任した病院です。 お母さまが花田さんとお仕事をされたという職員の方に、お話をうかがいました。昭和20年8月9日の八戸空襲で…

ウェブサイト制作キックオフ会議@弘前市

映画『じょっぱり看護の人・花田ミキ』のウェブサイトを制作中です。サイトつくりは青森の誰かにお願いしたいという五十嵐監督の思いもありfarm in 合同会社の鹿倉さんにお願いすることになりました! 今日のキックオフ会議には鹿倉さんだけではなく、farm i…

弘前市立弘前図書館

花田ミキさんの故郷青森県弘前市の弘前市立図書館には、ご著書4冊が納められています。 貸出を受けるための図書カードは、青森県内にお住まいの方、弘前市内に通勤、通学している方のみが対象となりますが、図書館内の閲覧は誰でも可能です。花田さんの思い…

Twitterの画像用に調整中

Twitterに縦長のチラシのデータをアップしたらチラシの下の部分の画像が切れてしまいました。 画像は横長にしないといけないことを悟り、表紙とチラシの3ページ目を並べた画像にしたのですが、3ページ目の字が小さいので、読まれている皆さんに負担をかけて…

映画『じょっぱり看護の人・花田ミキ』

青森県民の命と健康を守るために尽力し続けた花田ミキさんの人生を #五十嵐匠 監督による映画化実現のためサポーターを募集しています。本日、「映画じょっぱり看護の人花田ミキ」のチラシを50部お送りしました。配布をしていただけるだけでも大きな励みにな…