2021-12-01から1ヶ月間の記事一覧

居酒屋すまいる@大鰐町 パンフレット設置に感謝

大鰐町にある居酒屋すまいるさんにパンフレットを置いていただきました! お酒を飲みながら映画の話で盛り上がっていただけると嬉しいです。 ありがとうございます! パンフレットをお配りいただいた 正田宜宏さん、感謝します。 ▽Googleマップにすまいるさ…

花田ミキさんは、青森弘前高等女学校(いまの青森県立弘前中央高等学校)を卒業後、日本赤十字社盛岡看護婦養成所を経て、1934年(昭和9年)に日赤青森県支部に勤務しました。日赤時代は看護婦として青森県内の村々をまわり健康指導を行っていました。 昭和…

未来に向けて

花田ミキさんの著書「鎮魂のうた~20世紀におくる」に花田さんの手書きのメッセージが書き添えられていました。 戦争体験を本として残すのは「未来に向けて」のため。「明日のために、昨日を語る」を実践されていました。 戦争体験に限らず、人はなにか残す…

明日のために、昨日を語る

花田ミキさんが残した言葉です。ご自身の従軍看護婦としての戦争体験を語るのは、記録を残すだけではなく「命を阻むものはすべて悪」な世界になってほしいという願いからでした。映画も、花田さんの体験の記録に留まらず、「明日」を考えるきっかけとなれば…

「生まれる、生まれる、生まれる」と言って息を引き取った

青森県の看護師、保健師、そして助産師の記録を読んでいます。私の親戚が、助産婦だった叔母の人生をまとめた「明治女の雑記帳 小山内りやう・助産婦への道」も、そのひとつ。弘前市の和徳で開業していました。死の直前まで助産婦だった小山内りやうさんもじ…

北国青森の映画なのに事務局は南国の風が吹いています

太もずくスープは島守の塔の撮影を終えた監督からのお土産。カンボジアの布(クロマー)は事務局員の私物。数ヶ月前に監督から「クロマーあったら一つ送って」とメールをもらいお送りしました。また、依頼があればと常時準備しています。 花田のミキは、、、…

80年前の今日、太平洋戦争が開戦しました

12月8日の花田ミキさんの日記です。 ※写真はパブリックドメインの真珠湾の写真です。 【日米開戦の朝】 「海ゆかば」のうた声あふれかの朝病院船は上海を指しき 甲板に朝日おろがみこみあげき開戦を知りし支那海の朝 昭和十六年(一九四十一)十二月八日 朝…

昭和20~40年代の、青森県での保健婦の活動に関する資料

青森県立図書館に問い合わせていた青森県での保健婦の活動についての資料について情報をいただきました。青森に帰った時に図書館によって文献調査をしたいです。 五十嵐監督が島守の塔の撮影が終わりましたら、映画「じょっぱり看護の人花田ミキ」のために、…

島守の塔

いま沖縄でロケが行われています!12月中旬にクランクアップなので、いま佳境ですね! 五十嵐監督からのメール。「沖縄も寒い」 皆様、暖かくして撮影をお続けください。五十嵐監督への応援メッセージはコメントで ryukyushimpo.jp

お手紙をいただきました

「花田ミキ」さんのご功績は色々な情報から知っておりますが、信念のある、人間性豊かな人物であり、青森県の誇りです。 花田さんの生きざまを映画化すること、どんな映画に仕上がるかいまから楽しみにしております。映画制作に期待しております。 --- けっ…

菊池薬局(青森県弘前市)さんにパンフレット設置

青森県弘前市土手町で1906(明治39)年より青森県民の健康のためにと寄り添っておられる菊池薬局さんにパンフレットをお届けしました!今度、看護の人を支える菊池薬局さんのお話をおうかがいすることになりました。楽しみです! パンフレット設置、ありがと…

三沢市寺山修司記念館の休憩室

三沢市寺山修司記念館 さんが、休憩室のホールのテレビの前にパンフレットを置いてくれました。入り口とかではなく休憩室においてくれたのは 「暖かいところで読んでもらえるように」 とのお気持ちから。私の気持ちも温かくなりました。ありがとうございます

おはようございます

土曜の朝はお礼状書きから。ご支援に、感謝の限りです。

地雷を踏んだらサヨウナラ

五十嵐匠監督が手掛けた映画を紹介します紹介! 1999年、映画「地雷を踏んだらサヨウナラOne step on a mine,It’s all over.」 (‪#浅野忠信‬ 主演)完成。 2000年、正月ロードショー公開。毎日映画コンクール主演男優賞(浅野忠信・バンコク映画祭 観客賞)…

ものみなおわりあれど

ひるの銭湯には、新しい湯があふれて、ひろびろとしたタイルを洗い、いいものである。 ときには、浴室いっぱいに、乳色にたゆたう濃い湯煙におどろいたこともあった。フッと黒石市湯川にある”ぬる川や 湯やら 霧やら 月見草“という吉川英治の句碑を思い出し…

生きたカルテ

作家犬養道子が、前に北欧で病んだとき、地域の保健委員会に電話をしたら、間もなく宿の窓の下に、ピューッと口笛が聞こえた。見たら一人の女性が、「室のカギを投げおとすように」と言っていた。やがて入ってきたのは保健婦であったという。彼女は手厚い看…