1月7日、戦争の終わりの日はいつなのかを考える

今日は、1月7日。
1979年1月7日、カンボジアで恐怖政治を敷くポル・ポト政権が崩壊しました。
五十嵐匠監督の映画「SAWADA」の主人公沢田教一も「地雷を踏んだらサヨウナラ」の一ノ瀬泰造ポル・ポト兵の弾丸に倒れました。
1979年に政権は崩壊しても、ポル・ポトは1998年まで生きつづけカンボジアは内戦状態にありました。
歴史の教科書の中では1979年にポル・ポト政権崩壊とされていますが、実際には内戦は1998年まで続きます。そして今でも悪魔の兵器地雷はカンボジアの地面の中に埋まっています。人の心の傷は癒えることはありません。
花田ミキさんが従軍看護婦として見てきたこと、体験したことを、書き残し、叫び続けたことは、「まだ戦争は終わっていない」というメッセージだったのかもしれません。

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映画監督 五十嵐 匠(しょう)プロフィール

1958年(昭和33年)9月16日 青森市に生まれる。弘前高校、立教大学文学部卒。大学時代、シナリオセンターに通う。岩波映画四宮鉄男監督に師事、助監督として修業する。以後、TBS「兼高かおる世界の旅」制作のため、アラスカをはじめ、世界各国を回る。
1996年、長編ドキュメンタリー映画「SAWADA」を監督。(毎日映画コンクール文化映画グランプリ・キネマ旬報文化映画グランプリ・日本映画ペンクラブ選出準グランプリ・日本映画技術賞・JSC賞)
1999年、映画「地雷を踏んだらサヨウナラOne step on a mine, It’s all over.」(浅野忠信主演)完成。2000年、正月ロードショー公開。(毎日映画コンクール主演男優賞(浅野忠信バンコク映画祭 観客賞)
2001年12月、夭折した童謡詩人金子みすゞの生と死を描く劇映画「みすゞ」(田中美里主演)を監督。(毎日映画コンクール助演男優賞日本映画プロフェッショナル大賞寺島進)、毎日映画コンクール技術賞(金沢正夫)文化庁優秀作品賞)
2003年近代陶芸の先駆者、陶芸家板谷波山の生き様を描いた劇映画「HAZAN」(榎木孝明主演、南果歩他)を監督。(ブルガリア・ヴァルナ国際映画祭グランプリ 〃    批評家連盟賞)
2005年奄美大島で死んだ孤高の日本画田中一村の生と死を描く劇映画「アダン」(榎木孝明主演、古手川祐子他)を監督。(第18回東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」公式出品 アメリカ・シラキュース国際映画祭 審査員特別賞)
2006年、幕末長州藩のサムライ達五人が英国へと命を賭けて密航した青春を描く「長州ファイブ」(松田龍平主演)を監督。(2007年新春全国公開)(第19回東京国際映画祭「日本映画・ある視点部門」公式出品 第40回アメリカ・ヒューストン国際映画祭 グランプリ)
2009年、幕末薩摩藩西郷隆盛の片腕で「人斬り半次郎」の異名を持つ日本初の陸軍少将桐野利秋の生と死を描く劇映画「半次郎」(榎木孝明主演、エグザイルAKIRA白石美帆他)を監督。(2010年秋全国公開)
2014年、直木賞作家重松清原作作品劇映画「十字架」を監督。
永瀬正敏小出恵介富田靖子木村文乃他)(2016年正月全国劇場公開)
2018年、映画「二宮金次郎」(合田雅吏、田中美里柳沢慎吾榎木孝明田中泯)を監督。(2019年全国ホール他にて公開)
2021年、映画「島守の塔」(萩原聖人村上淳、吉岡里穂、榎木孝明)を撮影。

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兼高かおる世界の旅

1月5日は兼高かおるさん(1928年2月29日~2019年1月5日)の命日です。まだ海外旅行が身近ではなかったころ、飛行機が飛びたつシーンから始まる「兼高かおる世界の旅」に心を躍らせた人も多かったのでは。五十嵐匠監督は「兼高かおる世界の旅」の製作に携わり、アラスカなどの撮影をしていました。
兼高かおるさんにお粥をつくってもらったという話も!?

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故郷も寒くなりましたことゝ存じます

故郷も寒くなりましたことゝ存じます、すつかり御無沙太許り申し上げて居りました、皆様相変らずお元気のことゝ思ひます、私達一同も元気で服務して居ります故御休心下さい、及ばずながら一致和協、足らざるを鉄石の団結で補ひつゝ必ず御期待に副ふつもりで御座います、先日始めての勤務を致して参りました、一同船暈のことは聞いた許りでは信じられなかつたらしいですが実地に体験し心底から判つたらしいのです、冬の海は荒れるもの、まして今回は帰りの玄海灘附近で低気圧襲来で珍しい雷雨に遭ひ、船は木の葉の如く動揺する、前甲板は浪にたゝかれ、看護婦は張られたロープを伝はつて病室に往来する様な有様で、二日も三日も食事せず、吐き通して勤務する人が多く、始めてではあり、可哀相でしたが、吐いてもいゝから坐つててもいゝから病室に居よと、無理を申しました

洗面器を抱へて苦しみつつ働く看護婦の姿をみると涙がにじんで来ました、最初故吃驚したらしいですが、士気は毫も屈することなく前途の困難怒濤を乗切つて行かうと云ひ合つて居ります、船暈は真実苦しく、陸上生活では想像だに出来ず、血を吐いた人さへ四、五人ありました、船に乗つて苦しんで居る者は私達のみぢやない、日本人、全部が今船に乗つてゐのです〔ゐるのです〕この間遭難演習をやりました、細い縄梯子をつたつて舷側から海上に降下する訓練など、平素は膝がガクヾヽするやうな危いことを皆んな平気でやつてゐます、先づは近況第一報まで 
花田ミキ
1941年12月6日 (出典)『東奥日報』 東奥日報社発行
戦場に向かう病院船に乗っていた花田ミキさんが冬の故郷に出した手紙。
冬の故郷を思いながら、南国に向かう船の中で船酔いと戦いながらしたためたものです。
雪が降り続くいま、読んでほしい文章です。

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2022年、明けましておめでとうございます🎍

今年も映画「じょっぱり看護の人花田ミキ」をよろしくお願いします。
雪をかいてもかいても、道がなくなる青森の冬。それでも春は来る。映画制作も道なき道ではありますが、歩みは止めません!
引き続きよろしくお願いします🙏

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居酒屋すまいる@大鰐町 パンフレット設置に感謝

大鰐町にある居酒屋すまいるさんにパンフレットを置いていただきました!
お酒を飲みながら映画の話で盛り上がっていただけると嬉しいです。
ありがとうございます!
パンフレットをお配りいただいた 正田宜宏さん、感謝します。
Googleマップにすまいるさんを追加しました!