昭和二十年八月、沈没した海防艦稲木の兵隊さんが入院していたとき、空襲があった。当時、赤十字病院は長者山近くにあって、長者山の防空壕へ避難するための担架隊が迎えに来たけれど、担架が一台足りなかったのです。それで私は残った兵隊さんに付き添って、再び迎えに来るのを待っていたけれど、空襲がひどくなって…。その兵隊さんと二人で、ここで死にたくないねえ、と話しました。担架が来ないので、私は兵隊さんをおんぶして階段を降りて、やっとのことで防空壕にたどりつき、助かったんです
海防艦稲木の負傷兵を救護した横山としゑさんの証言
『花田ミキという生き方』(松岡裕枝著、東奥日報社)
61-62pより