渡されたのは青酸カリの小ビンであった

八月十五日、敗戦の報におどろいたが、五戸町に病院を疎開させるとの指示で準備を始めた。

そのとき、院長から、万が一のときは「これを!」と渡されたのは、青酸カリの小ビンであった。看護婦全員の自決用であった。

夕方、学生たちと一緒に長者山の草原に円陣をくんでみんなで声をあげて泣いた。

大泣きに泣いたあと、フト、眼を射たのは町のひとつの灯火であった。戦争中はきびしい燈火管制のためにみられなかった灯火であった。

ホッとともったのは、胸の希望であった。

「いくさが負けても私たちの仕事は大切だから、しっかり勉強して、資格をとろうね」と学生の肩をたたいたのは、目にした灯火
のおかげでなかったか。

花田ミキ著『燠なお消えず』59p

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監督の五十嵐さんはいま「島守の塔」という沖縄戦の映画の撮影をしています。五十嵐さんから沖縄の集団自決などの話を聞いています。花田ミキさんも終戦日、看護婦全員の自決のためにと青酸カリを渡されていました。

戦争で多くの死を見つめ、また人々の命を守るべき看護師が、自らの命を絶つことも視野に入れなければいけない、この瞬間に花田さんは何を思ったのでしょう。

八戸市のまちなかの一筋の「灯火」が、胸にともった「生きよう」「育てよう」という希望につながったのではないかと思います。

そしてこの「灯火」が学院歌「クリミアの灯を」につながったのではないでしょうか。

小さくてもともる「灯」が、足元を照らし、進む道を見つける手助けをしてくれると感じました。

写真は、花田ミキさんと学生が円陣を組んだ長者山です。

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「明日のために、昨日を語る」

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