もったらころすな運動

仕事が終って一息ついているところへ「保健婦になった動機は―――」と聞くと、彼女は、ふっと頬を赤らめて口ごもる。
(中略)
「人間が健康であるっていうことは、すばらしいことじゃない。」
とつぶやくと訪問鞄を抱えて逃げるように家庭訪問に出る。減ったローヒールの靴が鉛色の海の方へ下りていくのを、いつまでも見送った。
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1967年8月1日に青森県庁より発行された『県政のあゆみ 昭和42年8月号』に当時の保健師の活動が載っていました。
1964年、東京オリンピックが開催されたこの年に、花田ミキさんが保健師助産師と協力し「もったらころすな運動」をスタートさせました。
その「もったらころすな運動」開始から3年後の1967年、保健師の活動の記録です。

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