生と死の病院船 従軍看護婦が見た兵士たち

日本放送出版協会から1989年に出された『戦争を知っていますか② 語り継ぐ女性たちの体験』の中に花田ミキさんのインタビューが掲載されています。

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第一回の召集のとき、今から五十年前のことですけどね、まず広島に集まりました。それから今度は、いよいよ病院船に乗ることになった。病院船というのは、どういう船かというと、これは国際条約で決められているんだけれども、外側をまっ白なペンキで塗って、まん中に二メートルの緑色のペンキを塗って、そのまん中にまっ赤な大きな赤十字。そして夜でも赤い電気をつけて、いつでも赤十字の船だ、中立の船だということがわかるような、そういうのが病院船。敵、味方を超えた、そういうふうな船でした。その船に、北海道と青森の看護婦さんたちが、五十九人乗り組んだのです。
157p
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従軍看護婦で戦地に赴いたのは看護学校を卒業したばかりの看護婦も多かったそうです。花田ミキさんが最初に召集されたのは1937(昭和12)年。日赤盛岡看護婦養成所を1934年に卒業してから3年後の、23歳の時した。

この本は重版未定の状態ですが中古の本はネットで買うことができます。

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「明日のために、昨日を語る」
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