身を切られるすすり泣き
開設直後の分院は、あらゆる備品が不完全で、衛生材料も足りないものだらけ、少しばかりの紐、一箇の空鑵、ほしくても手に入らない。繃帯交換の後の、うず高い汚物をすてようにもすて場所がなく、シャベルをかりて、バラックの裏側に穴をほって捨てた。
「看護婦さん、看護婦さん」とあちらこちらから呼ばれ、のめるようにして仕事を片づけていく。足の疲れも忘れて立ち働いた。
夜勤の一晩中、病室のあちらこちらから、傷の疼痛に耐えかねて、低い涕涙が絶えなかった。
なろうことなら、代わりたいと、そのすすり泣きの声に、身を切られるように思った。
患者は知らないが、傷病兵の中から、毎日ポツリポツリとコレラの疑似患者が発生して、隔離されていった。
「内地が見えるのに、どうしてこんな小島などに置くのかなァ」とつぶやく患者もあった。
花田ミキ「語り継ぎたい」12p