別れの乳房

花田ミキさんは日中戦争・太平洋戦争中、3度従軍看護婦として招集され戦地での救護にあたりました。これは青森県だけに限らず、日本全国の日本赤十字社の看護婦は養成所終了後、戦場での救護に赴く応召義務がありました。
この絵は、日本赤十字社秋田県本部の事務局長室に飾られている「別れの乳房」という絵です。
花田ミキさんのように独身の女性だけではなく、赤子がいる看護婦も出征を余儀なくされました。
秋田県では約460人の従軍看護婦のうち、23人が殉職。多くは20歳代の女性でした。
戦争の不条理は、当たり前の日常、一人ひとりの小さな幸せをを打ち砕く―絵を見てそう感じずにはいられませんでした。
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