日中戦争と病院船(昭和十二年~十四年)

昭和十二年(一九三七)九月に日中戦争の、戦時召集状を受けた私は、広島の宇品船舶司令部に所属する病院船但野部隊の救護班員として、昭和十四年(一九三九)八月まで勤務した。
この間、広島・宇部を母港として、中国・大連・秦皇島、上海、汕頭、南京、広東に赴き、傷病兵を病院船に収容し、日本に輸送する任務に就いた。
花田ミキ『鎮魂のうた』1p
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写真は宇品港(現在は広島港)の写真です。宇部港は明治22(1889)年に築港されました。日清・日露戦争を契機に、昭和20(1945)年までまで主に旧陸軍の軍用港として利用されてきました。
宇部港は、戦争中、多くの兵士を送り出した一方、傷病兵を病や、多数の遺骨の無言の帰国を迎えてきた港です。
そしてそこには花田ミキさんのように全国から招集された若い看護婦たちの姿もありました。

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