くちなしの花―看護の心にふれたとき―

そのとき、私は広島陸軍病院の伝染病室に入院していた。第二次世界大戦がはじまる前に、日赤の看護婦として三回目の召集をうけて病院船に乗っていた。フィリッピン南洋群島から、傷兵をのせて、主に台湾に輸送していたのである。
宇品港に帰るたびに、碇泊していた船の数は目立って減ったばかりでなく、船首にすえられていた大豊は、よく見ると木製の擬砲にかわっていた。
病院船の勤務はきびしかった。いつ襲撃されるかわからないというので、ズボン式のユニホームを日夜着けたままであった。海中を漂うときにそなえて、ロープやジャックナイフも身体からはなさなかった。せまくあついカイコ棚のようなベットに身を横たえて、冷たい水でザブザブ洗濯したふるさとのことを思い出していた。
南方の戦いの様相をうつして病院船にはこびこまれる患者の顔色は、土気色で戦傷も、フカに臀部をえぐられたものもまじっていた。
そんなあけくれのある日。香港で患者を収容しているとき、私ははげしい目まいとともにたおれた。それから狭いベッドで高熱にあえぎつづけた。早朝、船艙から汲み上げた水でタオルをぬらして冷やしてくれた友人たちも、勤務のひまをさいてあわただしく、くるしかなかった。
夢ともうつつともない状態でようやく広島の病院に運ばれたのであった。病名はチフス。昭和十八年の初夏のころであった。
もうろうとした思いのなかで、”私のつとめはすんだ。昭和十二年からの戦争勤務だったもの。多くの人を看護してきたが、もう疲れた。どうでもいい。うちに遺書ものこしてきたし、何の心のこりもない“このようなキレギレの思いが浮かんでは消えた。
ねた切で、“看護婦さあん”と枕もとの空かんに小石を入れたものをふって呼んで、オシッコをとってもらったり、流動食を少しばかり口に入れてもらったりした。そのうち、痰に血液がまじるようになった。“ああ、とうとう……”そのころ病院船勤務の看護婦の結核発病率は五十%だった。やせこけて、死ぬことばかりしか考えなかった。看護する身が、看護されて知る思いは、“今までの患者さんにすまなかった。至らないことばかりで…”ということであった。
そんな朝。病室の朝の光の中に「おはようございます。いかが?」と若い看護婦さんが入ってきた。死と向かい合って暗い夜をすごした私には、朝の光とともに、さわやかなクリームの匂いをさせて、にこやかに話しかけてくる若い看護婦の姿は、“生命”そのもののシンボルのようにうつり、何かホノボノと力が湧くような気がしたものだ。
その朝、看護婦さんは私の手に何かもたせてくれた。
「今ね。寄宿舎から、病院にくる道にこの生垣があって、花が咲きはじめたから一枝もってきたの」
眼鏡をはずした近眼の私は、その白い花の咲いた小枝を目に近づけてから、匂いをかいだ。
「まあ、いい匂い。これ何の花?」
「くちなしですよ。いまその花の咲いている道に、患者さんが多勢散歩していますよ。花田さんも早く元気になって、この花を見にゆきましょうね」
花の香り、みどりの葉、生垣、道、輝く太陽、そして青い空、フワフワとした雲。そこを二本の足で立って歩く。吸呑でなくコップからゴクゴク水も飲める。歩いてトイレで用を足せる。笑う。人と話す。なんという素晴らしいことだ。生きるとは!!生きたい。花を見たい。炎のように沸き上がる生きようという願い。とめどなくもえる想いは“生きよう”。もし生きたら、これからの人生は、おつりだと思って思う存分生きてみたい“と広がった。それから重湯や水を飲んでも、”生きるのだ“と自分に言い聞かせるようにして療養した。
ようやく試歩をゆるされた日。看護婦さんの肩にすがりながら、太田川のほとりのくちなしの生垣を見に行った。
再び病院船にはもどったが、やはり胸が弱く、終戦前にふるさとに帰った。終戦のとき、広島の爆心地にあった広島陸軍病院の全滅を知った。
あの朝、くちなしの花に、看護の心をこめて私に話しかけてくれた看護婦さん。
いまもそのイメージは生きつづけ、“おつりの人生を生きよう”と多い決めていた私に、やさしくフックラとほほえみかけてくれる。くちなしの花とともに……。
あれから三十年、私は一鉢のくちなしをもっている。寒国に育ちにくいといわれるくちなしだが、冬は室内に、夏は前庭にうつして、去年の夏、はじめてほの白い花を二つ見ることができた。
いま“くちなしの看護婦さん”と呼びかけながら、鉢に水をかけつつ、私は春を待っている。
(県民と健康 昭和48・2・28)
巻きもどすフィルム 1-4p
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写真は花田ミキさんが入院をしていた広島陸軍病院跡地です。原爆の爆心地から1キロにあり、多くの入院患者や職員が亡くなりました。花田ミキさんの看護にあたった看護婦さんは…?

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