広東野戦病院

バイヤス湾に上陸した野戦部隊の傷兵を、部隊ごと、病院船に移乗させたことがあった。
明らかに、重篤な兵もまじっていた。
私の乗っていた病院船は、台湾に寄港することになっていたので、せめて、重い患者だけでも、そのまま、病院船にのせてゆきたいと思った。
しかし、部隊が違うと簡単に患者の受け渡しが難しいらしく、重篤の患者ぐるみ、野戦病院は、南方(海南島)を指して、出港していった。
半世紀たった今でも、担架にのせられた兵たちの、訴えるような瞳を忘れることはできない。
「鎮魂のうた」15-16p
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平成14年(2002年)に花田ミキさんが自費出版した「~20世紀におくる~鎮魂のうた」という記録集があります。従軍看護婦として戦場に赴いたときの記録集です。
この経験から「命を阻むものはすべて悪」という強い信念を持つようになった経緯を感じていただけると幸いです。
機雷の恐怖と戦いながら小舟で負傷兵の収容に向かう看護師たち。そこでも様々な規則があり、重篤な患者を看護できない苦しみ。待ったなしの戦争の現場と理解しながらも、適切な看護を届けられない状況に置かれた看護師たちは、日々葛藤しながら過ごしていたのではないでしょうか。花田ミキさんのように。
今回、ボランティアの皆さまと文字起こしをさせていただきました。ご協力に感謝します。

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