血を吐き乍ら看護/白衣の天使青森班の此の頃

砲煙弾雨の中に獅子奮迅の働きをなすのは独り皇軍将兵のみではない、そこには我が忠勇果敢の将兵を心から看護し、力づけ、明日への戦ひの勇気とを与へる白衣天使の血の出る様な労苦のあることを忘れてはいけない、去る十月十一日夢に描いた召集令状を頂いて同十四日総勢二十二名が遠く戦野へ上つた日赤青森支部管内第三百五救護班は其後某所で待機、命の下るを待つてゐたが、去日愈々出動命令が下り海上へ勤務すること十数日、この程一旦部隊へ帰還した、この中で婦長花田ミキさん(弘前市紙漉町)は前後三回に亘り応召、第一線将兵に劣らぬ活躍を続けてゐるが、今回花田さんは一行の活動状況を奈良日赤支部主事に宛て寄せて来たこれに依つても判る通り如何に白衣の天使の使命が尊く苦痛なものであるかを窺ひ知ることが出来るのである

故郷も寒くなりましたことゝ存じます、すつかり御無沙太許り申し上げて居りました、皆様相変らずお元気のことゝ思ひます、私達一同も元気で服務して居ります故御休心下さい、及ばずながら一致和協、足らざるを鉄石の団結で補ひつゝ必ず御期待に副ふつもりで御座います、先日始めての勤務を致して参りました、一同船暈のことは聞いた許りでは信じられなかつたらしいですが実地に体験し心底から判つたらしいのです、冬の海は荒れるもの、まして今回は帰りの玄海灘附近で低気圧襲来で珍しい雷雨に遭ひ、船は木の葉の如く動揺する、前甲板は浪にたゝかれ、看護婦は張られたロープを伝はつて病室に往来する様な有様で、二日も三日も食事せず、吐き通して勤務する人が多く、始めてではあり、可哀相でしたが、吐いてもいゝから坐つててもいゝから病室に居よと、無理を申しました

洗面器を抱へて苦しみつつ働く看護婦の姿をみると涙がにじんで来ました、最初故吃驚したらしいですが、士気は毫も屈することなく前途の困難怒濤を乗切つて行かうと云ひ合つて居ります、船暈は真実苦しく、陸上生活では想像だに出来ず、血を吐いた人さへ四、五人ありました、船に乗つて苦しんで居る者は私達のみぢやない、日本人、全部が今船に乗つてゐのです〔ゐるのです〕この間遭難演習をやりました、細い縄梯子をつたつて舷側から海上に降下する訓練など、平素は膝がガクヾヽするやうな危いことを皆んな平気でやつてゐます、先づは近況第一報まで 
(資料年月日)1941年12月6日 (出典)『東奥日報』 東奥日報社発行
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青森県デジタルアーカイブスシステム」で「花田ミキ」さんの名前で検索して出てきた記事を紹介します。
船酔いとの戦いは壮絶なものだったようです。自分も苦しい中、怪我人の看護をするー極限の中での看護活動だったことでしょう。また船なので、外に逃げるわけにはいきません。
花田ミキさんのやさしさは自分が極限を体験したからこそのものだったのでしょうか。

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