地雷を踏んだらサヨウナラ

五十嵐匠監督が手掛けた映画を紹介します紹介!
1999年、映画「地雷を踏んだらサヨウナラOne step on a mine,It’s all over.」
2000年、正月ロードショー公開。毎日映画コンクール主演男優賞(浅野忠信バンコク映画祭 観客賞)
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1997年、1998年とカンボジアにいました。首都プノンペンにいたのですが「アンコールワットのあるシエムリアップで日本の映画が撮影されている」という日本人社会の中でそんな噂が流れていたことを思い出します。その時は、「俳優は誰だ」ということが話題になっていました。
その時は、どの映画なのかはわからずじまいでしたが、五十嵐監督と話をするようになってあの時撮影されていたのが「地雷を踏んだらサヨウナラ」だったことを知りました。
監督が撮影をされていた1990年後半は、まだ「地雷を踏んだらサヨウナラ」が現実であった年でした。一ノ瀬泰造を捕らえ、殺害したクメール・ルージュのトップであるポル・ポトが亡くなったのが1998年。それまでは政府軍との間で戦闘を繰り返していました。
政府軍とクメール・ルージュがお互いの土地を守るためにおこなったのが「地雷を埋めること」です。中には「地雷が除去された後、安心してその土地に入ること」を予想して、2段、3段と折り重ねるように埋められていたこともありました。
当時学校の建設の仕事をしていたのですが、最初にすることは地鎮祭…ではなく地雷探査でした。校庭のど真ん中に大きな対戦車地雷が見つかったことがありました。また金属片が200個以上も埋まっていることがわかり工事を始める前に大掛かりな撤去作業をしたこともあります。学校ができて子どもたちがその土地に立ち入ったとき爆発しなくてよかったと胸をなでおろしました。
近年、地雷の撤去は進み、地雷の被害者も減ってはおりますがゼロではありません。
地雷を踏んだらサヨウナラ」という言葉は、遠い昔の物語ではなく、特に辺境部に暮らすカンボジアの人にとっては生活の中でまだ背中合わせなのです。
カンボジア駐在歴9年の映画事務局・鎌倉幸子でした。