修羅の青春

いくさ語る演者なりしにひとすじの涙をみせて友は語らざりき
若きらのあまた死にしをみしわれの青春修羅とともにありしか
私の友人の多くは、従軍看護婦の体験を持っている。
大分前に、「戦争を語り継ぐ」というフォーラムをひらいたことがある。
ニューブリテン島のラバウルに勤務していた友人が、発表者として参加した。
演者の席についたまま、はじめからひとことも、もの言わず、うつむいたままであった。
涙がひとすじ、頬を伝わっていた。
そのあとも、この友人は、戦争のことは語らない。
敗戦後、中国から捕虜となった救護班員は、髪を切り、男装してやせ衰えて帰ってきた。
毎夜、「オンナヲダセー」という屋外の声を警戒して、一室にこもったまま、夜は燈火を消し、声をひそめていたという。
婦長は、戸口に短刀を立てていたという。
また、中国で、つぎつぎに死亡する兵の小指を切り、トタン板の上で焼いて遺骨としたが、ついにそれも間に合わず、夜中に大きな穴を掘り埋めるのが精一杯であったという話も出た。
南方の島で撃ちおとされた、アメリカ航空兵の棺を、憎しみのあまり、足蹴にした看護婦もあったという。

「敵味方を超えて、慈悲の心をもとう」という言葉は、我が国の若者たちの死を目前にすれば、空疎なものに思えるのも、いつわらない心境なのである。
「殺すか、殺されるか」極限の状況に追いつめるのが戦争である。
私の友人たちは、地獄を見た人が多く、いわば「修羅の青春」をおくった世代といえよう。
「鎮魂のうた」86-88p

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