大西若稲著『さい果ての原野に生きて -開拓保健婦の記録』(日本看護協会出版会、1985年)

保健婦の仕事を知るために」と本のご推薦やご寄贈をいただいております。今日読んだのは、北海道で開拓保健婦として開拓民の健康のために尽力した大西若稲さんの本です。この本はすでに重版未定になっているので、貴重な記録です。「明日のために昨日を語る」プロジェクトとして、明日を考える際に、知るべき「昨日」について調査、紹介してまいります。

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裕福な家庭に生まれながらも、結婚後すぐに夫に届いた赤紙、義理の両親との不和から心身を壊し、開業医をしている父を頼り北海道稚内に移り住む。しかし、待ち受けていたのは愛情を注いでくれた父の死であった。その後も北海道に残り続け、開拓保健師として医療が届かず、医者にかかることは贅沢だと体に鞭を打ち働く開拓民に寄り添いながらも、検診を受けるように呼び掛けたり定期的な巡回診断を実行するなど、住民の意識向上を図る取り組みをした。そして身分も賃金の保証もない保健婦身分保障や開拓農政から一般農政へ移行する際、農林省から厚生省への身分移管へ取り組むなど、北海道庁や国を相手に交渉の矢面にたつ。

経歴だけ読むと大きなことに取り組み形にしてきた人というイメージを持つ。確かにそうなのだが、大西若稲さんが向き合っていたのは道庁でも国でもなく、一人ひとりの人間であった。

保健婦の業務が画一的であるはずがない。地域には地域の特質があり、人々にはそれぞれの相違がある。本当に人の生命を大切にするためには、その人の特質や、地域の特質をみきわめることが出発点にならなければならない。したがって保健婦業務の出発点は、地域の人々に学ぶことであり、人々を受け入れることであろう。それてそこから問題が発見され、対策実施へと、業務が進められていくべきものではないかと思う。当然のことながら、これがニードにそった業務展開ということではなかろうか。そしてまた、これこそが人間を大切にするということであろう。」(273p)

<裏表紙より>

昭和20年、敗戦処理緊急法案として都市疎開者就農に関する法案をはじめ次々に開拓事業案の成立を見る。罹災者、復員者、引揚者、農家の二・三男は希望にもえて新天地を目指し入植した。しかしそれは「飢え死にがでなければ成功とみなす」とまで言われたほど、無より有を生ぜんという筆舌に尽くしがたい労苦であった。そして彼らの近くにいる唯一の医療職が開拓保健師であった。

著者大西若稲は、昭和18年開業医の父を訪ねて北海道に渡る。東京では昼は通信社の記者であり、夜は新劇の研究生である彼女は、そのまま日本最北の稚内にとどまり、開拓保健婦になってしまう。

本書は、自前の独創的な行動力で農民を組織し保健婦を組織し行政を動かした個性あふれる勇気と行動の自伝である。

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webの本棚サービス「ブクログ」で本棚をつくりました。ここに紹介をいただいた本を掲載してまいります。

「明日のために、昨日を語る」本棚 映画じょっぱり 看護の人花田ミキ
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