本と兵士

瞳をこらして来し方をふりかえってみれば、そのなかにあざやかに浮かぶものがある。それは四十年も前のこと。いくさの最中に、病院船の往路にのせた若い兵士たちの顔なのだ。学徒の雰囲気をまとった彼等は、愛読の書をたずさえていた。はげしい戦場を前にしたマニラで、挙手の札をして下船していったあとには、多くの本がのこされていた。その本は、ヘルマンヘッセ、吉田絃二郎や啄木が多かった。学徒動員の学窓からまっすぐ戦場にはこばれた彼らは、本を余分のものと指示されて、捨て去らねばならなかった。
下船の間ぎわまで読んで、アンダーラインを引いたり書きこみをしていた手ずれた本。
みずからに何を言いきかせて本に別れたのだろう。別れの方が大切だもの、となっとくしたとは思われない。
船室の片すみにうずたかくつまれた本には、くいいるように読んでいた若い兵士たちの心がのこされていた。
それは、彼らの青春の挽歌であったばかりではなかった。生への訣別のしるしであった。
日常茶飯事のくりかえしの果てに、気を離すことを知るのがあたり前である。茫としたモノクロの映像の、ながれを区切って、若い兵士たちの顔と、その本は、あざやかなひとこまのカラー。それは深情けともなり、凝縮されて私からはなれることがない。
北灯 昭和54・12
『巻きもどすフィルム』花田ミキ(昭和60年11月11日)