「還りなば(上海)」鎮魂のうた~20世紀におくる~

上海に、深谷部隊という衛生隊があった。県出身の郷土部隊であった。
たまたま、私たちの病院船が上海の碼頭(マトウ)に着岸したと知り、部隊員がつぎつぎに訪れた。その一人に北郡出身の予備兵があった。予備兵といえば召集された中年のひげのオッサン兵であった。
大声の津軽弁でしゃべっていた。
「帰還、召集解除」は予備兵たちの夢であった。
「えさ(家に)戻ったときには・・・」五人の子を一度に抱きしめて、かっちゃに「ママ盛れ!」と叫ぶのだと身振り手振りで話した。その姿は滑稽であったが、真剣な表情を見ると笑えなかった。
「鎮魂のうた」10-11p
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平成14年(2002年)に花田ミキさんが自費出版した「~20世紀におくる~鎮魂のうた」という記録集があります。従軍看護婦として戦場に赴いたときの記録集です。
この経験から「命を阻むものはすべて悪」という強い信念を持つようになった経緯を感じていただけると幸いです。
「ママ盛れ」は「ごはんを盛ってくれ」ということだと津軽出身の私は解釈しました。
花田ミキさんも久しぶりに聞く津軽弁。でもそこは戦場であるがゆえに、そこが別れの場となる。花田さんの郷土である青森の部隊が戦地に向かおうとしている姿をどう思いながら見ていたのだろうと思う。
そして無事の「帰還」を願っていたことだろう。
今回、ボランティアの皆さまと文字起こしをさせていただきました。ご協力に感謝します。

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