外国ナースの支援

次々と半狂乱の熊で、手足が麻痺した乳幼児をいだいた母親たちが病院にかけ込んできた。
小児まひの患者は、小泉先生という温厚な青年医が担当していた。その小泉先生が、「小児まひの患者は、急性期をのりこえても、そのあとにのこる筋肉のまひは、生涯にわたって変形をのこすおそろしいものだ。しかし、わが県には、小児まひの予防も、治療も、後遺症に対する手当も、残念ながらない。婦長、何とかして占領軍のナースから、手当の方法を聞いてきてくれないだろうか」と言った。
もちろん、佐藤院長の許可を得て上京して、日本赤十字社の本社を訪ねた。この当時本社の看護課長は、林塩女史であった。
日赤の看護顧問としては、国際赤十字社から、オルソン女史が派遣されていて、全国の日赤看護婦の教育担当指導者の研修や、各支部病院を巡回指導をしたりしていた。
早速、林看護課長に私は、八戸の小児まひ患者の現状を訴えて、ぜひ外国の有効な看護法を教えてほしいと願った。
林看護課長はオルソン女史の援助を得て、すぐくに、当時の進駐軍指令部公衆福祉局看護課長オルト大尉(ナース)に支援を求めた結果、一冊の参考資料を貸してもらった。ところが、八戸にそれを持ち帰ることは許されなかったので、日赤本社では、急遽、東大の学生をアルバイトに雇い、その資料を三日間で日本語にほん訳させた。私はその資料を手にし、急いで八戸に帰った。
巻き戻すフィルム(花田ミキ著)より

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