若ものたちのいのちを返せ

間もなく、日米戦争(昭和十六年・一九四一)がはじまった。
三日目の召集では、南方海域を含む病院船勤務で、死線をくぐった毎日であった。
北はアリューシャンから、南太平洋のガダルカナルラバウルまで戦線はのび、食糧・弾丸の補給路はズタズタに寸断された。
海のもくずと消えた艦船、兵士、船員は数知れない。
前記対談によれば「次第に、日本の政治、外交、軍事のすべてを握った軍部が自身をセルフコントロールできなくなった。マンモス化した軍部集団が動きがとれなくなった」という。そして昭和二十年(一九四五)敗戦。
打ちつづく十五年戦争で、わがくにの戦没者は三百十五万人。
内軍人軍属二百三十万人、民間人八十五万人。アジアでは二千万人といわれる。あまりにも犠牲が多かった。
多くの血と涙が流された。
前記の対談記事を読んで思ったこと。

これが真実なら、ひどい。
「聖戦」と信じ切って死んでいった多くの若ものたち。
戦死した無念。そして死したあとも、今の目で見る人たちから、ひとくくりに「侵略者の手先」といわれる無念。
「若ものたちのいのちを返せ!」と私は叫んでいた。
二十世紀のはじめに生を受けた私は、気力も体力も衰えて、残生も少ない。
しかし、二十世紀の戦争に参加したものとして、死者への義務がある。
鎮魂の思いをこめて、目にし、聞き、体験したことを、断片でもいいから残したいと思った。

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