「戦争の世紀」鎮魂のうた

Ⅴ 二十世紀におくる鎮魂のうた
草むせる水漬(ミヅ)くかばねのるいるいと重なり見ゆる二十世紀なりき 
【戦争の世紀】
間もなく、二十世紀は過ぎようとしている。
思えば、二十世紀は、戦争の世紀ということができよう。
十九世紀のおわりには、日清戦争(一八九四~九五)、二十世紀の幕明けに日ロ戦争(一九〇四~五)があった。日ロ戦争に勝ち、「日本は戦えば勝つ」というおごりをもった。
また、二十世紀のはじめには第一次大戦(一九一四~一九一六)があった。
次いで、わがくにの十五年戦争の発端といわれる満州事変(一九三一)がおき、つづいて上海事変(一九三七)、日中戦争(一九三七)がおこり、日米戦争(昭和十六年・一九四一)に突入した。
そのまま、全世界を敵とする第二次世界大戦、そして敗戦(一九四五)と、日本は激動の歴史を歩むこととなった。
最近、週刊ポスト(二〇〇〇・十二月八日号)を読み、『なぜ「負ける戦い」に踏み切ったのか』の、評論家・田原総一朗氏と日大教授・秦野郁彦氏の対談を見て、唖然とした。
時の近衛首相、東条首相、昭和天皇も含めて、負けると思って戦争をはじめているという。

それは、日本陸軍という怪物集団を退治するには、一度国をこわしてやりなおすしかない。つまり、はじめから負けることがわかりきっている戦争に、あえて突入していったということである。
盧溝橋(ロコウキョウ)事件(昭和十二年・一九三七)のあとも、必ずしも日本側に、中国本土を占領しようという明確な構想があったわけではなく、ずるずると深みに入ってゆき、拡大派といえども、半年後には「こんなはずじゃなかった」と後悔していたという。
「鎮魂のうた」93-94p

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