ゆきかう手旗信号

「ワレメイニヨリバコウマデゴソウス」と
軍艦タカシマより信号ありしは 昭和十八年五月二十日
ゴクロウサマと振ればアリガトウと水兵ら海ゆきかいし手旗信号
駆逐艦タカシマも見ゆつかの間の息深く吸いし東支那
昭和十七年(一九四二)ごろから南方の海は死の海となった。南方への補給路を米軍は徹底的に断ち切る戦術をとった。雷撃・空襲がつづき兵員物資を輸送する船はつぎつぎに姿を消した。病院船もねらわれた。ぶえのすあいれす丸は患者を満載したままラバウル沖で撃沈された。
私が乗っていたさいべりあ丸もある夜、雷撃をうけ船体がななめに傾いたが、船長の見事な操船で危うく沈没をまぬがれた。
このような航海を続けていたとき、駆逐艦タカシマが護送すると信号があった。輸送船マニラ丸と心細い船団を組んでいた、さいべりあ丸の私たちはどんなに心強かったことか。
その後のタカシマとマニラ丸の消息は分からない。
「鎮魂のうた」63-64p

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