幽鬼の群れ

土色の幽鬼の群れかガ島よりのがれし兵ら舷梯(タラップ)につづきし
南方のガダルカナル島から敗走した兵たちが病院船のタラップをのぼるとき、やせて土色をして目ばかり光り、声もなくタラップにすがる姿は幽鬼かと思われた。
南の島々には、弾薬も食料も輸送船が途中でつぎつぎと撃沈されて補給がなかったため、餓死する兵が相次いだという。
昭和十八年(一九四三)頃のことであった。国民にはほとんど知らされていなかった。
昭和十八年夏から、看護婦の救護班は下船し、病院船は輸送船となった。その後、二十隻といわれる病院船は一部をのこし、すべて南方の海で撃沈されたということである。
看護婦は、フィリピン、台湾の上陸勤務になったが、フィリピンで敗戦を迎えた班は、洗面器を背に消毒液だけをもって、患者、兵らとともに山中の逃避行をつづけ生死の境をさまよった。
「この飯をガ島の戦友(とも)に」と号泣しはしをとらざる傷兵ありき
病院船に収容されると、どんぶりにご飯が盛られて配られた。
船室の一端で大声で号泣する兵がいた。飢えて死んだ多くの戦友の顔が浮かんで涙があふれてきたといった。
「鎮魂のうた」66-67p

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