軽き担架

敗走の兵らに神経症多しとパラオの看護婦つぶやきし夏
ガダルカナル島よりおくられてきし傷兵の軽き担架を舷門に受けき
南方の島、ガダルカナルは、アメリカ軍の猛烈な空爆にさらされ、日本軍は多くの戦死者を出した。
補給が続かなかったので、生き残った兵も、ほとんど餓死した。
日本の敗戦は、ガダルカナルからはじまったといわれる。
南方の傷病兵は、ラバウルパラオ、そしてフィリピン。マニラに輸送された。
この輸送には、病院船があたった。
病院船も雷撃をまぬがれることはできなかった。
南方から後送されてきた傷病兵たちは、やせ衰えてしわばみ、皮膚は土色、明らかに飢餓の状態であった。
患者を受領のために、パラオ海軍病院行ったとき、そこの看護婦はつぶやいた。
「患者のうち、一人を除き戦争神経症である。」
その言葉に、極限の地の死闘を思った。
「鎮魂のうた」68p

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