2023-02-01から1ヶ月間の記事一覧

ウェンディ・ウォリントンさんのインタビュー

2022年2月24日に開始されたロシアのウクライナへの軍事侵攻から、約一年が経とうとしています。 ウクライナで看護師・助産師として活動をしているウェンディ・ウォリントンさんのインタビューを見つけました。 英語を日本語に翻訳しましたのでぜひご一読くだ…

華北の病兵たち

一、マラリア マラリアの発作(ホッサ)はげしき病兵をおさえるほかにすべきはなかりき 北支、石門陸軍病院には、マラリア患者のみを収容したマラリア病棟があった。二日ごと、三日ごとに発作をおこす、二日熱タイプ、三日熱タイプがあり、毎日発作をおこす…

武漢に転身

河北(カホク)より武漢(ブカン)に転じし埼玉班帰る日ともにまちかねいしを石門の病院には、日赤の栃木斑や埼玉斑が勤務していた。その友人たちにあえば、いつも「帰還の情報は?」とたずねた。ある日、突然、埼玉斑に、南方の、武漢(南支の武昌・漢口)…

帰る日はいつ

花咲くころ帰還のうわさもしきりなりいつしか花も散りて久しき 飢え迫る故国とは知らずまほろばのふるさと思い帰る日待ちき 山西省の山岳戦で、また、南方の平原から、負傷兵がつぎつぎと転送されてきた。 一方、輸送に耐えられる兵は、北京に、あるいは天津…

クラウドファンディングのリターン

今回のクラウドファンディングではリターンに特別バージョンの映画の予告編をお届けするメニューを用意しています! 五十嵐匠監督の作品「島守の塔」と「二宮金次郎」の予告編をご参考までにぜひご覧ください!YouTubeのリンクを掲載しています! readyfor.jp

男女別勤務

「号令をかけて衛生兵どのは便器をとる」と傷兵はこぼしき 当時の石門病院では救護班の看護婦と軍の衛生兵が病棟ごとに混合編成で勤務していた。 あるとき、衛生兵からこんな声があった。「故郷を出るときは『名誉の出征』と日章旗とバンザイにおくられてき…

ペンチを腰に

針金の副木切るとペンチ提げ外科の病舎をめぐりしかの日 腕折れし兵に副木そえやりて「重爆(ジュウバク)さん」と呼びし夏の日 重症の傷兵次ぎし病棟に上肢副木(ジョウシフクボク)の兵ら援けくれし 整形外科医はいない、理学療法士は大戦後の職業なのでも…

青森県立弘前中央高校のみなさま

弘前市のcaféDOで、お茶会をしていた青森県立弘前中央高校のみなさまがチラシをもらってくれましたーデリバー境さん、ありがとうございます! 弘前中央高校卒の鎌倉より

花田ミキ先生の教え子の一人として 大鰐恭子さん

教え子の一人として花田先生にまつわる思い出をつづります。 看護史を習いました。「命を阻むものはすべて悪!」と語る声は、穏やかではあるものの厳しさが感じられ、言葉に深い重みがありました。 花田先生が情熱を傾けた、命を守る施策「派遣保健婦制度」…

チラシ設置

東京都世田谷区にある雑誌の図書館「大宅壮一文庫」さんがクラウドファンディングのチラシを設置してくれました!ありがとうございます

死線をくぐったものたち

傷兵ら病舎のベットをもやしつつ河北の遠き春待ちかねし トーチカの扉をもやせしは誰 森閑とせしのみなりし朝の病室 手当たり次第に、木製品をこわしてもやした傷兵たち。廊下のナガシも裸にされてしまった。 ついには、病院のただひとつの抵抗施設である、…

もとをただせば

花田ミキさんは、青森県看護協会の初代会長です。 青森県の看護の礎を築いた大先輩です。 76年前に発足した青森県看護協会のおかげで、今の私たちがあります。 そのことを忘れたらいけないと思います。 ファーストペンギンという言葉をご存知の方も多いと思…

真冬日は続く

苦力(クーリー)の綿入れ服をうらやみし北支の病舎に真冬日つづきし 中国の河北省地方は綿花の栽培地なので、さすが麺化や綿布は豊かであった。病院で働く「クーリー」は綿がたっぷり入った服を着ていた。 一方、石門の病院の入院患者は白い袴下(コシタ)…

夜の銃声

深夜勤の病舎を指せば聞えきし夜の河北の遠き銃声 病舎から、やや離れて看護婦宿舎があった。 白いシックイ塗りの数棟の建物であった。 聞けば、中国の小学校の校舎を占領して充てていたのだという。 「子供たちは、どこへいってしまったのだろう」と心が痛…

セリフの英訳をしました

いま台本作りが進んでいます。 今回、五十嵐監督が脚本を担当します。五十嵐さんの映画は監督が脚本を担当するケースが多いんですよね。 さて今回の映画「じょっぱりー看護の人花田ミキ」は花田ミキが連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の公衆衛生福祉局の看…